8月13日の礼拝の内容です。

礼拝

8月13日の礼拝の内容です。讃美歌は、194.402.471.483.27です。

礼拝説教      使徒4:1~14「イエス・キリストによる救い」    2023.8.13

 8月は、平和のことを考える時です。先週の日曜日には、平和聖日を守りました。8月6日に広島、8月9日に長崎に原爆が投下されました。多くの方々が亡くなり、その被害は今日にも続いています。そして8月15日の終戦記念日を迎えます。悲しみと苦しみを忘れない、同じ過ちは二度と繰り返さない、そのことを改めて思うのです。

 今日の聖書の箇所で、使徒4:12「ほかのだれによって、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」の言葉を中心に、話していきます。

イエス・キリストは神の働きを行いました。神のみ言葉を教え、弟子たちを選び訓練し、多くの奇跡を行いました。そして、十字架につけられて殺されてしまいました。墓に葬られ、3日目に復活してくださいました。復活されたイエス様は弟子たちに現れ、40日間共に過ごされました。そして、神のみもとに帰られたのです。そして、10日後に、神のもとから聖霊が送られました。イエス様の弟子たちに聖霊が下ったのです。弟子たちは聖霊によって新たにされて、イエス様の福音を理解することができ、教会が誕生しました。ペトロがエルサレムの大通りに出て、さっそくイエス様の福音を語り始めます。ペトロの説教です。ペトロの説教を聞いているのは、ユダヤ人たちです。彼らは、イエス様を十字架にかけて殺してしまったのです。そのことを大胆にペトロはユダヤ人たちに語ります。あなたがたは、ローマ人の手を借りて、十字架につけて殺してしまった。しかし、神は、このイエス様を死の苦しみから解放して、復活させてくださった。だから、あなたがたははっきりと知らなければならないといいます。あなたがたが十字架にかけて殺したイエス様を、神は主として、またキリストとしてくださったと大胆に語ります。

 この話を聞いたユダヤ人たちは、心を動かされ、ペトロの導きによって、約3000人が洗礼を受けて、教会の群れに加わったのです。そして、ペトロは神殿の美しい門の側に置かれていた生まれながら足の不自由な男の足を癒されたのです。驚くべき奇跡が行われたのです。この出来事に驚いた多くのユダヤ人たちが、ペトロたちのもとに集まって来ました。ユダヤ人たちは、生まれながら足の不自由だった男を癒した力のことを知りたくて、集まって来たのです。ペトロはユダヤ人たちに向かってはっきりと答えます。この奇跡の力は、イエス・キリストの名によるものだと。イエス・キリストを信じる信仰が、この男の人をあなたがた一同の前で、完全に癒してくださったといいます。これから、弟子たちの働きが本格化していきます。

 今日の聖書の箇所の使徒4章は、教会とユダヤ人との対決が始まっていきます。ペトロとヨハネが人々に話をしていると、祭司たち、神殿守衛長、サドカイ派の人々が近づいて来ます。彼らは、神殿を守っている立場の人たちです。また、ペトロたちが人々にイエス様に起った死者の中からの復活を宣べ伝えているので、いらだっているとあります。多くの人々が集まっていること、神殿の管理者とすれば、何か不穏な動きがあるのではないかと心配して来たのです。また、サドカイ派とは、ユダヤ人の中では貴族階級で、ローマに対して友好的でした。今の状況が守られれば、それでよかったのです。ローマ帝国は、支配地の人々に対して非常に友好的で可能な限り、自治を求めていました。しかし、治安が乱れることを恐れていました。またサドカイ派の人々は復活信仰を信じていませんでした。それで、ペトロが語ったイエス様の死者の復活について語っていることでいらだちを覚えたのです。しかし、夕方だったので、すぐに裁判をすることができず、ペトロとヨハネを捕らえて翌日まで牢に入れました。

 次の日です。議員、長老、律法学者、大祭司一族が集まりました。いわゆるユダヤ人の最高議会です。イエス様も捕らえられて、この最高議会で裁判を受けていました。最高議会のメンバーは、使徒たちを真ん中に立たせて「お前たちは何の権利によって、だれの名によってああいうことをしたのか」と尋問しました。ペトロたちの捕られた理由は、死者の復活のことを語ったことでした。それが、ここでは変わっています。足の不自由な男を癒したことを問題にしています。議員の中にファリサイ派の人々がいて、彼らは死者の復活を信じていたので、訴えの内容を変える必要があったからです。

 ふと、イエス様が捕らえられて大祭司の家に連れて行かれた時に、ペトロも後を追いかけて、大祭司の家の中庭にいたことがありました。その時に、近くの人からペトロに、「お前は、イエスの仲間ではないのか」と問われた時に、「知らない」と強く否定してしまいました。そのようなことが三度もあったのでした。その弱かったペトロが、ここでは大きく変っています。議員の質問に、ペトロは聖霊に満たされて「民の議員、また長老の方々、今日わたしたちが取り調べを受けているのは、病人に対する善い行いと、その人が何によっていやされたのかということについてであるならば、あなたがたもユダヤ人も知っていただきたい。この人が良くなって、皆さんの前に立っているのは、あなたがたが十字架にかけて殺し、神が死者の中から復活させられたあのナザレの人、イエス・キリストの名によるものです。」と答えています。

 そして、旧約聖書を引用して「この方こそ、あなたがた家を建てる者に捨てられたが、隅の親石となった石です」といっています。これは、ユダヤ人が家を建てる時に、隅に大きな親石を土台にするのですが、一度、使うことができず、捨てられました。その捨てられた石が、今後、新しい家を建てる時に、しっかりとした親石として使われるようになったということを意味しています。イエス様は十字架につけられて捨てられてしまいました。しかし、今や神の救いのために大いに用いられているのです。ペトロは「ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほかに、人間には与えられていないのです。」と、大胆に語っています。

 使徒言行録は、このペトロの弁明が、議員や他の者たちは、ペトロとヨハネの大胆な態度を見て、しかも二人が無学な普通の人であることを知って、驚いていると書いています。ペトロたちが聖霊に満たされているということの意味がここで出ています。ペトロたちに行動が、ユダヤ最高議会の人々にとってはいかに驚きのことであるかをいっています。その内容も、そして、イエス様とすっと一緒にいたことも分かっています。一方で、足をいやしていただいた人がそばに立っているのを見ては、ひと言も言い返すことができなかったのです。教会とユダヤ教の対決といいました。これから、この対決は続いて行きます。そのことが大いに危険なことであり、迫害と殉教につながる恐れがあることも知りながら、しっかりと前を向いて進んでいくのです。この後で、ユダヤ人最高議会の人々からペトロたちに「決してイエス様の名によって話したり、教えたりしてはならない」と命じられるのですが、ペトロたちは、「神に従わないで、あなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか、考えてください。わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです」と答えています。このペトロたちに働きによって、すでに3000人が加えられ、更に5000人が教会に加えられていきます。

 私たちにとって本当の救いとは何でしょうか。生きるために必要なことがたくさんあります。また、生きるために、我慢しなければならないことも多くあります。時には、自分の思いを捨てて、相手の思いを受け止めることもあります。生きていることには、たくさんの苦しみと悲しみがあります。どうすることもできず、途方に暮れることもしばしばです。答えの見つからないこともたくさんあります。世界中で争うがなくなることはありません。世界に平和を来たらせてくださいと祈っても、それが実現することはなさそうです。

 7月から3年ぶりに、ホスピスに行き始めました。ホスピスのチャプレンを再開しました。入院されている方と話をするのです。先日、話し合いの中で、チャプレンて分かりますかと尋ねましたら、知らないといわれてしまいました。なかなかチャプレンの役割を説明するのが、難しいものがあります。30年以上前に、東京都清瀬市になる信愛病院のホスピスでボランティアをしていたことありました。患者さんとこんなやり取りがありました。その方は、病状は安定していましたが、自分の最後を覚悟されていました。「早く迎えに来て欲しいと願っているのだが、なかなかこないんだ。困ってしまうよ。こう願うことはいけないことなのかなあ」と、私にふと投げかけて来たのです。今でも、その言葉は、私の中に記憶として残っているのですから、自分でもどう答えていいのか、分からなかったのでしょう。人は死を前にして、何を思うのでしょう。本当の意味で、私は経験したことがありませんので、分かりませんが、想像して、すべてが終ってしまうと考えるととても怖いことだなあと思います。それでも、病気の苦しみがあり、早く迎えに来て欲しいと思う気持ちがあるのでしょう。

 キリスト教の信仰を考える時に、使徒4:12「ほかのだれによって、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです」という言葉が、あります。イエス・キリストの名、それが救いのすべてです。その救いを受け止めることができるように歩んでいきたいです。

祈り 神よ。あなたを礼拝することができましたことを心から感謝します。私たち人間の本当の救いとは何でしょうか。そして、その救いは、イエス・キリストの名によって与えられるものと聖書は、私たちに教えてくださっています。この救いの意味を、大切に受け止め、歩んでいくことができますように、守り導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

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